手筒花火が出来るまで ―命をかけた男のプライド―
手筒花火とは愛知県東三河地方を中心に伝わる花火で、火薬を竹筒に詰めて噴出させるシンプルな構造です。
その最大の特徴は、放揚する(花火を揚げる)本人が、自ら手筒花火を製作すること。上記で紹介した一連の作業を全て行います。特に火薬の仕込み・詰め込み作業は、命に関わる危険なものです。
この作業は、大量の火薬を使用していますので慎重に行います。直径15cm、長さ70cmぐらいの節を抜いた孟宗竹(モウソウチク)に荒縄を巻き締め、硝石や硫黄に桐灰を混ぜた黒色火薬を手筒1本に約1.8kgから3kg詰めます。
こうした伝統ある技術はもちろん、放揚の際、火薬が詰まった竹筒を抱え、自らの命をわずか数十秒の炎の舞にかける勇敢な「男の度胸」、危険を恐れず、より素晴らしい手筒花火を揚げようとする「男の美学」が、代々受け継がれてきているのです。
自分の手筒花火は他の誰にも負けないという「男のプライド」が、観客を魅了することでしょう。
手筒花火、奉納 ―もっと詳しく教えて!―
いざ、手筒花火に火を点火する際は、地上に寝かせて点火し、「ゴー」という火花の音とともに手筒を起こしていき、脇の横に両手でしっかりと抱えるように持ちます。
火柱の高さは地上から10メートルにもなり、火柱は約30秒吹き上げます。手筒を脇に抱える際、熱くてつい肩よりも上に上げてしまいたくなりますが、それはタブー。足を前後にし腰を落とし筒は肩の位置で持つことが格好良い、とされています。そのため、男たちは熱さに耐えながら1200度の高温と火の粉を全身に浴び手筒を揚げるのです。
黒色火薬に混ぜた鉄粉の火の粉は着ている刺し子(衣装)を焼き、厚手の刺し子に穴が開くほどです。最後は、巨大な火柱を噴火させ、「ドーン」という大音響とともに筒の底が抜けて足元で爆発。これを「ハネ」言いますが、この瞬間「手筒を揚げる緊張からの解放感と、成し遂げた達成感」が味わえ、また来年も揚げたくなるのが東三河で育った男の性なのだそうです。
年に一度のビックイベント、『炎の祭典』とは?
愛知県豊橋市で行われる花火大会「炎の祭典」は、来場者数5万5000人を超える毎年恒例のイベント♪
乱玉やスターマイン、大筒、綱火など、一挙に楽しめます。なかでも、手筒花火25本一斉披露は必見!東三河の男たちは、竹筒の口が1200度にも達する筒を肩の位置に抱え、火の粉を浴びながら耐え抜きます。これぞまさに年に一度の「男の祭典」。観衆を魅了する豊橋伝統のお祭りです。
徳川家康が任せた火薬製造で、三河衆は商売繁盛・無病息災?!
―手筒花火のルーツを探る―
全国的にも最も古い歴史を持つ花火、手筒花火の原型は、情報伝達手段である「狼煙(のろし)」と言われています。戦国時代に登場した花火は、江戸時代の元禄期以降に庶民に広まり、徳川家康が三河衆に火薬の製造をまかせたことで、この地域は花火が盛んになったと言われています。また、東三河地域にある商店や一般家屋には、手筒花火を軒先に置く習慣があります。これは、手筒花火発祥の当時から、暗闇に棲む悪霊(疫病、災害)に炎の光を照らし追い払う「魔除け」と、災厄が家屋へ侵入するのを防ぐ「厄除け」として、神の力が宿っているという言い伝えがあるのだそうです。その他、商売繁盛を祈願するためのものとして、多くの飲食店等の商店が手筒花火を軒先に飾っています。
そんな無病息災、家運隆盛、五穀豊穣、武運長久を祈る奉納行事として祭礼で揚げられた歴史ある手筒花火を、皆様のご家庭・お店に一本飾ってみてはいかがですか?
